Year: 2019

“なぜ『デイアンドナイト』は生まれたのか”×『No Pain, No Gain』交互上映スタート

『デイアンドナイト』は阿部進之介さん企画・主演、藤井道人監督、山田孝之さんがプロデューサーとして参加した、気鋭のクリエイターたちが自分たちの表現の形を模索して、手探りで作った映画。 その背景や挑戦の数々、企画・制作・劇場公開を迎える過程を記録し、山田さんのエネルギーの根源を知れるドキュメンタリー映画が『No Pain, No Gain』。 10/13(日)〜アップリンク渋谷で、2作品の交互上映・トークイベントの開催が決定した。山田さんを筆頭に、阿部さん、藤井監督、『No Pain, No Gain』の牧有太監督ほか、全日に豪華ゲストが登壇する。 ■様々な仕事に挑戦「プロデューサーに興味がある」 ドキュメンタリー映画『No Pain, No Gain』は2013年〜2019年まで、山田孝之さんの30歳からの5年間に密着。タイトル「No Pain, No Gain」の意味は本人が撮影中つぶやいていた言葉「楽しむために、楽をしない」に由来。俳優のみならず様々な仕事に挑戦し、もがく実直な山田さんが映っている。 山田さんは30歳の時に「俺にはもっともっとできることがいっぱいある。監督も興味あるし、脚本や原作・原案にも興味あるんですけど、一番やりたいのはプロデューサー」と語っていた。その想いが将来の『デイアンドナイト』に繋がっていく。 ■自分たちで「表現したいことを表現できる場所」を作る 阿部進之介さんは、学生時代から自主制作映画を自主興行していた藤井道人監督と出会って、一緒に映画を作りたいと思った。既に出来上がった作品に参加するだけではなく、俳優発信で「表現したいことを表現できる場所」を生み出したい。それは阿部さんだけでなく、山田さんが目指していたものでもある。阿部さんと親交のあった山田さんが賛同し、自らプロデューサーとして参加したいと申し出ると『デイアンドナイト』は動き出した。 俳優の山田さんがプロデューサーとして裏方に徹する。資金調達からキャスティング、いかに俳優がストレスなく芝居しやすい環境を作るか。俳優ならではの意識と、独自のやり方で映画を作っていった。 ■話し合いながら4年かけて書いた脚本 『No Pain, No Gain』には、オリジナル脚本作りに苦闘する山田さん、阿部さん、藤井監督、脚本家の小寺和久さん、共同プロデューサーの伊藤主税さんの様子が記録されているが、『デイアンドナイト』の脚本開発にかかった時間は述べ4年、28稿にまで及ぶ。 長い年月の中で紆余曲折があったが、5人の、社会の不条理を見据える視線は揺るがない。「世の中で一方的に悪い事として報道されているようなニュースを見ても、果たしてそうなのかなって僕は思ってしまうんです。視点を変えれば、この映画で主人公の明石が守ろうとしたものや、彼なりの正義も見えてくる」(藤井監督) 「昼と夜」や「善悪」に対する二面性というテーマはぶらさずに、幾度となる話し合いを重ね、自分たちが納得できるものにこだわって、徹底的に取り組んだ。 ■“No Pain, No Gain”苦労なくして、得るものはない―。 簡単には答えの出ない難しいテーマに、極寒の秋田でロケ撮影…。彼らは何故、そこまでやるのだろうか? 一つの大きな答えは、大変な準備をしてキャスティング・オーディションを開催し、清原果耶さんという逸材に出会った、それである。“No Pain, No Gain” 苦労なくして、得るものはない―。 『No Pain, No Gain』の終盤、『デイアンドナイト』公開時(2019年1月26日)の山田さんの清々しい表情を見て欲しい。仲間との厚い信頼、究極の人間ドラマができたという自信。そして俳優が持つ、新たな可能性を感じていた。

『青の帰り道』再上映が大ヒット/刈谷日劇・劇場支配人レポート

『新聞記者』大ヒットの裏側で、5月に始まった同じく藤井道人監督が手がけた『青の帰り道』の再上映が動員1万人を突破しました。藤井監督自ら劇場に営業してスタートした東京再上映。全国各地からリクエストが殺到し、TOHOシネマズが運営する「ドリパス」のイベント上映を含めて上映館は25館にも拡大。  新潟県の市民映画館 シネ・ウインドでは、井上支配人の働きかけで作品の応援団が生まれ、劇場と連携して手作りの装飾やイベント企画が行われました。  『青の帰り道』の地方ムーブメントは一体どのように生まれたのでしょうか。  愛知県の刈谷日劇は2018年12月に『青の帰り道』が公開されてから3ヶ月経って、3月に上映に踏み切りました。当時刈谷日劇でしか上映されていなかったこと、ソフト化やネット配信の見通しが付いていなかったこと、横浜流星さんの人気ドラマの終了時期にも重なり、全国から沢山の人が駆けつけ、藤井道人監督自ら先陣を切って仕掛けた、5月の東京再上映に弾みをつけた劇場となりました。また『青の帰り道』のヒットは、その後の刈谷日劇の編成に影響を与えたといいます。  『青の帰り道』が東京再上映を成功させ、全国を巡った後の8月には、再上映を決めます。『新聞記者』『デイアンドナイト』『青の帰り道』の3本を揃え藤井道人監督の特集上映を組み、『青の帰り道』『デイアンドナイト』を手掛ける伊藤主税プロデューサーを招いてトークイベントを開催。ミニシアターの自由に編成できる強みを生かして、お客さんとコミュニケーションを取りながら、タイミングをはかって再上映の決断や特集を企画し、盛り上げていきました。 ■平成・令和を跨ぐ青春映画の金字塔『青の帰り道』 「『ローマの休日』ほどの重要作品になった」 愛知・刈谷日劇/堀部昭広 支配人 『広島国際映画祭2019』にて上映 『知多半島映画祭』にて上映 『くにたち映画館2019』にて上映 『ええじゃないかとよはし映画祭2019』にて上映 『さぬき映画祭2019』にて上映 今年で開館65年をむかえた、愛知県刈谷市にある映画館「刈谷日劇」。 今回の執筆を担当する刈谷日劇の館主の堀部は、今年初めより刈谷日劇の館主に就任し、番組編成も担当しています。 今回は、刈谷日劇で上映を決めてから、再上映に至るまでの経緯、また『青の帰り道』が当館にとって、どう特別な作品なのかというお話をしようと思います。 ■愛知県大府市出身の清水くるみさんを応援 刈谷日劇で『青の帰り道』の上映が始まったのが3月29日、正月明けから続いた大ヒット作『ボヘミアンラプソディ』と入れ替えての上映でした。 当館での上映を決めたのが、その2週間前。 かなり急な決定で、配給会社さんに「告知期間が短いですが、大丈夫ですか」と少し心配されながら、初日を迎えました。このように直前に上映作品を決めることは、通常の映画館の番組編成ではあまり行いません。上映を決めた3月は、多くのシネコンさんでの上映も一巡し、当館のような地方での上映も終わりかけていた頃でした。 そういう時期に、あえて上映を決めたのは、当館の隣の市、愛知県大府市出身の清水くるみさんが出演していたからです。地方の映画館として、同郷の映画に関わる人を応援するのは、当館がやれることのひとつだと思っているからです。 また、今年初めの横浜流星くんのドラマのヒットがあったことも決定するにあたっての肯定的な要因でした。 ■“家業の映画館” 初めての番組編成 このような流れで上映を決めた『青の帰り道』は、著者にとって、初めて番組編成を任されて選んだ初期の作品として、特別な思いがある作品でした。 最初の1週目は、ぽつぽつとお客様が入る感じでしたが、2週目以降は平日にもコンスタントにお客様が来てくれるようになりました。 鑑賞されるお客様と挨拶がてらにお話をすると、県外から来てくださる人がかなりいることがわかりました。平日にも遠くから足を運んでいただきましたが、週末にもなるとその傾向は目に見えて増えていったのです。 通常、1作品の上映は2週間ですが、興行成績がいいと延長します。『青の帰り道』を数回延長した頃、前の館主でもあり社長でもある筆者の父が「これはいける、このままゴールデンウィークまで確実に上映しよう」と言ってきました。 ここでお気づきになったとは思いますが、筆者は“家業の映画館” を父から引き継いだ3代目という立場なのです。 話は少しだけそれますが、いまの映画館業界では “家業の映画館” を継承することはかなり稀なケースだと思います。 映画産業は昭和中期に全盛期を迎え、そこから緩かに下降気味となりました。 平成初期に登場したシネコンにより、映画人口は一旦回復しますが、シネコンの台頭とその後のさらなる映画人口の減少により、個人経営の小さな「街の映画館」はどんどんと閉館に追い込まれていきました。 そのような中、当館も利益だけを追求するのであれば、閉館するのが合理的な選択だっかもしれません。 それでも、当館に楽しみに映画を観にきて頂けるお客様がいることを知っていたので、筆者はできるだけがんばってみようと引き継ぐことを決めました。 ここで当館の歴史を少しだけ。 刈谷日劇のスタートは昭和29年(1954年)5月のゴールデンウィークに『ローマの休日』を上映したのが始まりです。 筆者の祖父が洋画ロードショー専門、刈谷市内で3番目の映画館として、開業させました。 ちょうど映画館業界が「ゴールデンウィーク」という新しい和製英語を使い出して、世間にこの言葉が浸透していった時代です。 そこから平成中期まで洋画専門の劇場でしたが、映画業界編成の流れがやってきて、当館も大きく変化をせまられることとなりました。 地方の個人経営の映画館の多くが閉館してく中で、当館は単館系のミニシアターとして営業を継続していくことで生き残りを図りました。 1987年の刈谷日劇・外観 当時の創業者(私の祖父) ■平成から令和へ『青の帰り道』とともにむかえた刈谷日劇 話は今年の春に戻ります。 長年、地方の映画館の館主として、興行師(あえてこの言葉を使います)として劇場経営や多くのヒット作に関わっていた筆者の父が『青の帰り道』の数字を見て、「これはなかなか無いケースだぞ、しり上りで動員が増えていくのは久しぶりに見た」と興奮気味に言っていました。 筆者も “家業の映画館”を継いだのは今年の2月、まだ右も左もわからない状況の中、この尻上がりの数字をみて「やったぞ!」とワクワクしてきたのを覚えています。 その後、東京の渋谷で再上映があることを聞いたので、地方で成功して渋谷へバトンタッチすることが、当館ができる『青の帰り道』という作品への感謝の印だとの思うようになりました。 SNSなどでお客様と交流したり、情報を拡散するなど新たな試みも始めました。 作品のファン・まぁさんによる手作りの「青の帰り道ボード」左部分はモザイクアートになっている …

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榊原有佑「愛知県東海市 ふるさと大使」に就任

2019年5月、and pictures所属のディレクター・榊原有佑が、森川葵さん(女優)、芦木浩隆さん(イルミネーションデザーナー)、木原龍一さん(フィギュアスケーター)、日本製鉄東海REX(社会人野球広域複合企業チーム)、大同特殊鋼ハンドボール部フェニックス(実業団ハンドボールチーム)、愛知製鋼陸上競技部(実業団陸上競技チーム)の皆さんと共に、市制50周年の「愛知県東海市 ふるさと大使」に就任致しました。 http://www.city.tokai.aichi.jp/19074.htm ふるさと大使は、東海市をふるさととしゆかりのある方に、東海市の魅力を発信することで市のイメージアップを図ると共に、市民と共に大使の活動を応援し交流することにより相互の絆を深め、多くの市民が市に誇りを感じ、将来に夢を持てることを目的としています。 榊原は「東海市の空気を吸って育ったこと、この町での様々な体験が、今大切なアイデンティティーとなっています。 東海市を舞台に映画を撮ることが今の目標の一つです」とコメントしております。市内の各種式典やイベント、メディアなどさまざまな場面に参加し、東海市を盛り上げていきます。 ■榊原 有佑(さかきばら ゆうすけ) 2013年に初監督を務めた短編映画「平穏な日々、奇蹟の陽」はアジア最大の国際映画祭「ShortShortFilmFestival2014&Asia」JAPAN部門にノミネートされ、また2018年に、初公開された長編劇映画「栞」が北京国際映画祭に正式出品、KINOTAYO現代日本映画祭では最優秀映像賞を受賞するなど、元理学療法士という特異な経歴を経て得た感性を武器に独自の世界観を作り上げる「感性と技術が融合した」新しいタイプの次世代監督である。 ▽東海市ホームページ ふるさと大使 榊原有佑http://www.city.tokai.aichi.jp/19795.htm

榊原有佑監督「栞」フランス最大の日本映画祭・KINOTAYO最優秀映像賞受賞

and picturesの榊原有佑が、自身の理学療法士としての経験を基に監督・脚本、・編集を務めた映画『栞』が、フランス最大の日本映画祭・KINOTAYOイデム最優秀映像賞受賞を受賞。フランスで活躍する映画監督と映像スペシャリストが選ぶ賞となっています。 KINOTAYO(キノタヨ)現代日本映画祭は、フランスでの現代日本映画の普及・プロモーションを目的として2006年に発足されたフランス最大の日本映画祭。NPOのKINOTAYO協会が多数の日仏機関・企業のサポートを受けて運営。授賞式が行われメイン会場となっている、パリ日本文化会館、ル・クラブ・ドゥ・レトワール(パリ)の他、リヨン、ストラスブール、カンヌなどフランス全土約10都市にて、幅広いジャンルの日本映画を上映しています。 –榊原有佑監督・コメント– この映画は私が今から10年前に理学療法士だった時の実体験を元に脚本段階から撮影・編集に至るまで徹底的にリアリティを追求して演出していきました。また“理学療法士”が主演の映画は世界でもあまりないと思います。理学療法士のリアルな葛藤、そしてその中で見出した嘘のない希望を表現した作品になっています。 ■榊原 有佑(さかきばら ゆうすけ) 2013年に初監督を務めた短編映画「平穏な日々、奇蹟の陽」はアジア最大の国際映画祭「ShortShortFilmFestival2014&Asia」JAPAN部門にノミネートされ、また2018年に、初公開された長編劇映画「栞」が北京国際映画祭に正式出品、KINOTAYO現代日本映画祭では最優秀映像賞を受賞するなど、元理学療法士という特異な経歴を経て得た感性を武器に独自の世界観を作り上げる「感性と技術が融合した」新しいタイプの次世代監督である。